英語を勉強だと思わなくなってから、少し続くようになった

English

English stayed longer when it stopped feeling like homework.


英語は長く続けていますが、ずっと「勉強」として向き合ってきたわけではありません。

むしろ私は、勉強だと思うほど苦しくなるタイプです。

やらなければ。
今日も進めなければ。
もっと時間を取らなければ。

そう思い始めると、急に英語が重たくなる。

もちろんTOEICのように、数字を追いかけていた時期はありました。

でもある程度まで行ってから、私は少し向き合い方を変えました。

英語を勉強として管理しすぎるのをやめて、生活の中に置くようにしたのです。

今日は、その変化について書いてみます。


勉強として向き合うと、義務感が強くなることがある

勉強には終わりがありません。

単語。
文法。
リスニング。
音読。

やることはいくらでも出てきます。

真面目に向き合うほど、
「まだ足りない」が増えていく。

すると、できていない自分ばかり見えてくる。

今日はこれしかできなかった。
最近さぼっている。
もっとやらなければ。

こうなると、英語そのものより義務感の方が大きくなってしまいます。

私にはこの状態があまり向いていませんでした。


生活の中に英語を置いてみた

そこで少し考え方を変えました。

英語のためだけに机に向かう時間を増やすより、普段の生活の中に英語を置いてみる。

洋書を読む。
海外ドラマを見る。
英語を話す時間を作る。
耳に英語を流す。

「勉強する」というより、日常のどこかに英語がある状態です。

すると不思議と、英語への抵抗感が少し減りました。

やらなければではなく、
今日も触れている。

この感覚の方が私には合っていたのだと思います。


毎日少し触れる方が、気持ちが切れにくい

勉強としてまとめて頑張ると、できない日が続いた時に一気に遠ざかります。

でも生活の一部にしておくと、完全にゼロの日が減る。

洋書を数ページ。
移動中に少し聞く。
短い会話をする。

その程度でも、英語との距離が急には離れにくい。

大きく進む日がなくても、切れないことの方が長く見ると大きい気がしています。


楽しいものの方が結局戻りやすい

英語に触れる手段も、面白くないと続きませんでした。

義務だけで読む本。
義務だけで聞く教材。

そういうものは、忙しくなると真っ先に消えます。

でも洋書や海外ドラマのように、少しでも楽しい要素があると戻りやすい。

今日は疲れたから少しだけ。

そんな入り方でも続く。

私はたぶん、英語を努力だけで維持できるタイプではありません。

だからこそ、楽しめる形に寄せる必要がありました。


英語は課題ではなく、日常の背景にいる方がいい

今の私は、英語を以前ほど「勉強」としては見ていません。

もちろん学ぶ意識がゼロなわけではありません。

でも、やるべき課題として握りしめるより、日常の背景に置いておく方が自然に続く。

読書の一部。
映像の一部。
会話の一部。

そうやって生活の中に薄く置いておくと、英語は思ったより離れていかない気がします。


続いたのは、頑張ったからではなかった

英語をここまで続けられた理由を考えると、強い意志で頑張り続けたからではありません。

勉強として追い込みすぎなかったから。

少し楽しい形で、生活の中に置いたから。

その方が、結局長く触れられました。

英語は勉強だと思うほど重くなる。

でも日常の一部になると、少し呼吸がしやすい。

最近はそんなふうに感じています。


肌は、生き方の証明。
Skin as Proof

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