What I carry is often preparation, not just stuff.
バッグはなるべく軽い方がいい。
毎回そう思います。
肩も楽だし、移動もしやすい。
見た目だってすっきりする。
それでも実際の私のバッグは、だいたい少し重い。
理由は単純で、必要になりそうなものをいくつか入れてしまうからです。
食べ物。
飲み物。
補助になるもの。
ちょっとした予備。
もっと減らせる気もするのに、結局いつも似たような中身になる。
最近、それは単なる荷物ではなく、安心を持ち歩いているからなのだと気づきました。
今日はそんな話です。
入っているのは、あとで困らないためのもの
バッグの中には、今この瞬間に使うものだけが入っているわけではありません。
途中で空腹になった時。
少し疲れた時。
予定が長引いた時。
そういう「あとで困るかもしれない場面」を想定して、いくつかの補助を入れています。
なくても一日終わるかもしれない。
でも、ないと少し不安。
その微妙なものたちが、バッグの重さを作っています。
食べ物は安心材料でもある
私は外で長く過ごす日に、少し食べ物を持つことがあります。
すぐに口に入れられるもの。
たんぱく質になるもの。
念のための補助食。
これは単に空腹を満たすためだけではありません。
お腹が空いて判断が雑になること。
適当に何かを買って流れが乱れること。
その不安を減らすためでもあります。
つまり持っているのは食料というより、途中で生活を崩さないための余裕です。
予備があると気持ちが静かになる
予定通りに進まない日は普通にあります。
少し長引く。
帰るのが遅くなる。
思ったより消耗する。
そういう時、バッグの中に何かあるだけで気持ちはかなり違います。
まだ大丈夫、と思える。
この「まだ大丈夫」があると、人は意外と落ち着いていられる。
安心は、使うかどうかわからないものの中に少しずつ入っているのかもしれません。
身軽さより、乱れない方を選んでいる
もちろん、何も持たなければもっと軽い。
毎回少し減らしたいとも思います。
でも身軽さを優先して、途中で食事も気持ちも乱れるくらいなら、少し重い方がまだいい。
今の私は、軽さより乱れないことを選んでいるのだと思います。
バッグが重い日は、そのぶん安心も入っている。
そう考えると、この重さにも少し意味がある気がしています。
安心は、目に見えないけれど重い
持ち歩いているのは、ただの物ではないのかもしれません。
あとで困らないための準備。
空腹で慌てないための保険。
少し乱れそうな日に戻るための余裕。
そういう目に見えない安心が、バッグの中には入っています。
だからたぶん、私のバッグは今日も少し重い。
肌は、生き方の証明。
Skin as Proof
関連記事
バッグに補助食を入れているのは、単に空腹を満たすためではありません。
「何を持ち歩くか」や「どう選ぶか」については、こちらの記事でも書いています。
※これはあくまで私の身体で起きた変化の話で、すべての人に同じことが当てはまるわけではないと思います。
でも、自分の身体を観察して、合う方法を探していくことは、とても大切だと感じています。


