Muscle is quietly present in my daily decisions.
筋トレをしている時間は、一日の中のほんの一部です。
でも筋肉のことは、たぶんそれ以外の時間にもかなり考えています。
今日は何を食べるか。
この姿勢で立てているか。
今ここに効いているか。
少し張っているか。
今日は元気そうか。
気づくと、頭のどこかでいつも筋肉を気にしている。
そこまで意識している人は少ないのかもしれませんが、私にとってはかなり自然なことです。
今日はそんな話を書いてみます。
食事を見る時も、少し筋肉がいる
食事を考える時、私は味や満腹感だけで決めていません。
たんぱく質は足りるか。
炭水化物の入れ方はどうか。
今日は少し補給した方がいいか。
そういうことを自然に考えます。
別に毎回完璧ではありません。
でも食事の向こう側に、少し筋肉がいる感覚があります。
今日はこれで喜ぶだろうか。
今日は足りているだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら食べています。
鏡はわりと見る
筋トレをしていると、鏡を見る回数が増えます。
服を着た時。
姿勢が崩れていないか見たい時。
少し張りが出ている気がする時。
もちろんナルシストな意味だけではなく、観察です。
今日は背中どうだろう。
肩は少し乗っているか。
脚はむくんでいないか。
育てているものは、やっぱり見たくなる。
昨日と今日のわずかな違いを探すように、私はわりと鏡を見ています。
歩き方も、荷物の持ち方も少し気になる
ジムを出たら全部忘れるわけではありません。
歩いている時の体幹。
荷物を持つ時の左右差。
座っている時の背中。
あ、今崩れているな。
ここはもう少し使いたいな。
そんな小さな修正が日常に混ざっています。
筋トレはジムの中だけの動作練習ではなく、身体の使い方の意識を少し持ち帰る作業でもあるのだと思います。
今日は元気そうか、少し会話している
これが一番変かもしれませんが、私は筋肉の調子をわりと気にします。
今日は張っているか。
今日は疲れているか。
今日は反応が鈍いか。
なんとなく身体に聞く。
もちろん返事があるわけではありません。
でも観察していると、
今日は脚が重いな。
背中がいい感じだな。
そういうことが少しわかる日があります。
どうしたらもう少し喜ぶだろう。
どうしたらもう少し大きくなるだろう。
そんなことを考えている時点で、たぶんかなり日常に筋肉が住んでいます。
筋トレは運動時間より、意識の持ち帰りが長い
一回のトレーニングは数時間でも、その影響は一日中残ります。
食事に反映される。
姿勢に反映される。
観察に反映される。
つまり筋トレは、運動している時間だけのものではありません。
少しずつ意識を持ち帰って、生活の中に混ぜていく。
私はこの感覚がわりと好きです。
筋肉は、かなり身近な観察対象
気づけば私は、いつも少し筋肉のことを考えています。
そんなに大げさではなく、でも静かにずっと。
育っているか。
足りているか。
疲れていないか。
毎日同じ身体を使っているのに、見ていると意外と表情が違う。
筋トレを始めてから、筋肉は単なる身体の一部ではなく、かなり身近な観察対象になりました。
だから今日もまた、たぶん少し鏡を見ます。
肌は、生き方の証明。
Skin as Proof

